今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(76)

未来に語り継ぎたい名馬物語(76)
挑戦者にして道営の星
コスモバルクが開いた道
文 = 河村清明

今月の立ち読み

地方・ホッカイドウ競馬に所属しながら海外G1・1勝を含む重賞4勝を挙げたコスモバルク。
中央、そして海外へと挑戦を重ね懸命に走る姿は、多くのファンの心に刻まれた。


岡田さんの思いを体現した馬
コスモバルク

 2003年8月26日、コスモバルクはホッカイドウ競馬の旭川競馬場でデビューした。12頭立てのダート1000㍍戦、結果は2着だった。

 デビュー前から期待は大きく、注目されてもいたのだ。背景は後述する。以降の、足かけ7年をまずまとめておけば、09年有馬記念までの全48戦には、04年のJRA三冠競走のみならず、6度ものジャパンカップ、6度もの有馬記念を含んでいる。地方所属馬であるにもかかわらずだ。コスモバルクは実に“中央GⅠの最多出走馬”であるから驚いてしまう。

 今、あらためて書いておきたいのは、GⅠへの出走やステップレースの選択など、自身の選択肢を広げる意味合いにおいて、中央へと籍を移した方が圧倒的に有利であるにもかかわらず、関係者は最後まで道営所属を貫いた。なぜなのか。いかなる考えがそこにあったのだろうか。

 ご存じのとおり、コスモバルクを見出し、育て、21世紀初頭の日本競馬に一石を投じた岡田繁幸さんは、昨年3月に亡くなった。

 コスモバルクは岡田さんの“思い”を受けた馬だ。思いとは“使命”に置き換えてもいい。それを形にするために、バルクが肉体的にも精神的にも厳しい状況に置かれたのは間違いなかったが、それでも目の前の1戦に全身全霊で挑んだ。歯を食いしばって走る印象が私の中に残っており、「二度とお目にかかれない唯一無二の馬だ」と声を大にして言いたいのである。これほどまでに強く「未来に語り継ぎたい」馬は、私の場合、他には見つからない。

 引退後はビッグレッドファーム明和に専用の放牧地をあてがわれて、吹く風を悠々と受け止めている。流れゆく時を優々と見つめている。

 ただ、時おり、タッタッタと音を立て、手前側の牧柵に沿って、左右に駈歩を繰り返す姿を見かける。

 多分に感傷的な書き方にはなってしまうのだ。そんなバルクが、私にはどうしても、岡田さんの姿を探しているように思えてならない。

認定厩舎制度適用1号馬
地方所属のままでの中央挑戦

 バルク旋風。

 04年のクラシックシーズンに彩りを添えたのは、まさにそう呼ぶしかない地方馬の果敢な挑戦だった。

 中央挑戦を開始する前の、2歳時の戦績は4戦2勝に過ぎなかった。一連の結果は、早くから「この馬は芝向き。ダートじゃ力を出せない」と岡田さんの話すとおりだった。そして03年11月8日、地方馬も出走可能な百日草特別(東京、芝1800㍍=当時)にバルクは名を連ねた。

 11頭立ての9番人気。単勝オッズは65.2倍。道営での戦績も血統背景も平凡であったから、この評価は仕方なかった。サンデーサイレンス産駒のハイアーゲームが単勝1.2倍と圧倒的な支持を集めた。だが、この“のちのダービー3着馬”をバルクは寄せ付けなかった。

「返し馬で初めてまたがりました。感触はもちろん良かったんですけど、終わってみたらレコードですもんね。ひっくり返りましたよ。なぜかって、自分の印象では、そこまでの流れとは思えなかったんです。能力ある馬はゆったり走っても、乗り役が遅く感じても速い時計が出る。それだけストライドが大きいんですよね」

 道営の騎手・五十嵐冬樹にそんな感想を口にさせたバルクは、ともあれここから快進撃を開始したのだ。

 続くラジオたんぱ杯2歳ステークスを逃げ切ると、年明け初戦の弥生賞は2番手から抜け出して、重賞を連勝した。あまたいるサンデーサイレンス産駒を尻目にクラシックの最有力候補にのし上がると、調教の現場は取材陣でごった返した。テレビでも複数の特集番組が組まれた。そして迎えた皐月賞では、堂々の1番人気に推された。

 バルクへの大きな注目と高まる期待には、いくつかの理由が存在した。

 生産牧場も血統も目立たず、いわゆる雑草育ちであったこと。また、「ダービー制覇こそわが悲願」と公言してはばからない岡田さんが見出し、共にダービーを目指したこと。そしてもうひとつは、認定厩舎制度の適用第1号馬であったことだ。


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