今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(75)

未来に語り継ぎたい名馬物語(75)
無傷の10連勝でダービーを制した「幻の馬」
トキノミノルの残した蹄跡
文 = 島田明宏

今月の立ち読み

買い手がつかなかった
血統名「パーフェクト」


 2018年に日本ダービーを制したワグネリアンが、今年1月5日、多臓器不全のため急死した。現役のダービー馬の死は、大きな悲しみをもって受け止められた。過去にもダービー馬が現役時代に他界した例はあり、1935年のダービー馬ガヴアナー、37年のヒサトモ、40年のイエリユウ、51年のトキノミノル、65年のキーストンなどがいる。

 なかでも、その驚異的な強さとドラマチックな「馬生」ゆえ、後世に広く語り継がれているのが、「幻の馬」トキノミノルである。

 トキノミノルは48年5月2日、三石村(現・新ひだか町)の本桐牧場に生まれた。

 父は47年から51年までリーディングサイヤーとなったセフト。母の第弐タイランツクヰーンは、小岩井農場がイギリスから輸入したタイランツクヰーンの腹に入っていた持込馬。当時は、複数のダービー馬を出していたトウルヌソルやシアンモアといった種牡馬に対し、セフトは短距離向きと見られていた。また、兄や姉たちの競走成績も今ひとつ冴えず、「パーフエクト」という名で血統登録されたトキノミノルも、なかなか買い手がつかなかった。

 しかし、初代三冠馬セントライトを育てた伯楽・田中和一郎によって見いだされ、映画会社「大映」社長の永田雅一が100万円という高値で購入することになった。

 デビュー戦は、旧3歳時、50年7月23日に函館芝800㍍で行われた新馬戦。鞍上は岩下密政。2日前のスタート練習で大暴れし、いったんは出走を断られてしまったのだが、変則三冠牝馬クリフジなどのオーナーとして知られる栗林友二の口添えもあり、出走にこぎ着けた。全姉のダーリングは発馬に難があり、それも係員の心証を悪くする一因になっていたようだ。現に同馬は、弟の初陣と同日の第1レースを勝つには勝ったが、バリヤーの前で興奮して発走を16分も遅らせていた(当時はまだゲートが導入されていなかった)。

 トキノミノルもパドックからコースに向かう途中で暴れ出し、岩下を振り落としてしまった。3頭立ての2番人気という評価に甘んじたトキノミノルはしかし、バリヤーをかいくぐるようにダッシュするとそのまま後ろを引き離し、2着に8馬身差をつけて逃げ切った。勝ちタイムの48秒1は日本レコード。上がり3w35秒というのも当時としては凄まじいタイムだった。

 馬主の永田は競馬場には来ていなかった。永田は、尊敬する「文壇の大御所」菊池寛が2年前の48年に急死したあと、その遺志を継ぎたいという思いから、菊池が所有馬につけた「トキノ」の冠を有力馬につけることが多くなっていた。にもかかわらず、この馬を「パーフエクト」という名のまま走らせたのは、さほど期待していなかったからだろう。

 ところが、この、とてつもない勝ちっぷりである。永田は「永田ラッパ」と呼ばれるほどの大言壮語で知られる情熱家だった。渇望しながら手の届かなかったダービーを意識した彼は大いに興奮した。新馬戦の数日後、府中の田中厩舎で、田中と生産者の笠木政彦(本桐牧場の経営者兼場長)と面会し、「トキノ」の冠号に、成績が実るようにという意味で「ミノル」をつけ「トキノミノル」と改名することを決めた。

ひょろっとした体形ながら
デビューから快走の連続

 田中厩舎は「大尾形」こと尾形藤吉厩舎と並び称せられる名門で、セントライトのほか、39年のダービー馬クモハタ、41年の桜花賞馬ブランドソールなど数々の名馬を育てたほか、吉川英治、舟橋聖一ら、菊池寛の影響で馬主となった作家たちの所有馬も管理していた。

 さて、デビュー2戦目、札幌ダート1000㍍のオープンも楽に逃げ切ったトキノミノルは、3戦目、札幌ダート1200㍍の札幌Sで1分13秒1のレコードタイムで大差の逃げ切り勝ちをおさめる。

 北海道から府中の田中厩舎に移動したとき、永田は初めてこの馬と対面した。「器量はあまりよくないな」と漏らしたという。体重は440㌔前後で、ひょろっとして、脚の長い体形だった。コンパクトなボディに大排気量のエンジンを搭載していたあたり、ディープインパクトのようなタイプだったのか。


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