今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(68)

未来に語り継ぎたい名馬物語(68)
武豊騎手に初GⅠをプレゼント
スーパークリークと情熱の襷
文 = 吉田直哉(ウインチェスターファーム代表)

今月の立ち読み

1988年の菊花賞を武豊騎手とのコンビで5馬身差圧勝、天皇賞秋春制覇も遂げた生粋のステイヤー。
彼がもたらした栄光には、ホースマンたちの思いが集約されていた。


 サラブレッド史上最も成功した種牡馬と言われるノーザンダンサーがこの世に生まれてから丁度24年後の同じ日に、北海道沙流郡門別町(現日高町)にある柏台牧場で同馬の玄孫にあたる鹿毛を纏った牡馬が誕生した。本稿の主役スーパークリークである。ノーザンダンサー自身は小さな馬で、1歳時の体高が僅か142㌢と見栄えがしなかったため買い手が付かなかった。そのため、生産者であるE.P.テイラー氏の名義で走ることになり、その後カナダ産馬ながらケンタッキーダービーで優勝している。この父系は当初小さな馬が多かったが、直仔のニジンスキーから分かれる系統には雄大な馬格の馬が多く、グリーンダンサー、ノーアテンションと続きスーパークリークにもその遺伝子が伝わっている。

 父ノーアテンションは3歳(注:馬齢表記は現行ルールに従う。以下同)時から2400㍍を中心に使われてきたクラシックディスタンスを得意とする馬でG1勝ちこそないものの、欧州古馬の重要なレースであるオイロパ賞(独G1)とドーヴィル大賞(仏G2)で2着と好走。障害競走でも8戦2勝2着4回とスタミナがあることを証明し、1982年12月に日本へ輸入された。そうしたノーアテンションの良さを認めた当時の生産者の中に、新進気鋭の牧場主でビッグレッドファームを率いていた岡田繁幸(故人)がいた。欧米の生産地帯を見てきた岡田は親交があった柏台牧場社主・相馬に外国産種牡馬を利用した配合についても提案をしており、ナイスデイにノーアテンションを配合する案も岡田の助言が影響している。そして後日、スーパークリークが大輪を咲かせる上でも重要な役割を果たすことになる。

 当歳時のスーパークリークは大柄な馬で、当時日本では珍しかった昼夜放牧でじっくり育てられている。私自身も幼少の頃、同場を何度か訪問しており、木々に囲まれた広々とした放牧地を持つ綺麗な牧場の風景を覚えている。こうして優れた環境で生まれ育った同馬だが、左前膝以下が肢軸からずれているという欠点があり当歳馬セリでは買い手が付かなかった。しかし、ここで幸運が訪れる。翌年の1歳馬セリに参加していた調教師・伊藤修司の目に留まり、僅か二声ながら落札されたのだ。セリ終了後、同馬の資質を信じる伊藤の勧めに従い、木倉誠が所有することとなり「小さな川(クリーク)でも、いずれは大河になってほしい」という願いをこめてスーパークリークと命名された。

資質を見出されるも
我慢となった3歳春

 スーパークリークがデビューしたのは、1987年12月5日の阪神2歳新馬戦であった。育成牧場から函館競馬場へ入厩後に体調を崩したとは言え、陣営はこの馬に合ったレースが行われる師走まで満を持すことにした。今も昔も2歳2000㍍新馬戦というレースは多くは組まれず、それほど伊藤修司は同馬のステイヤーとして資質を感じ、この初舞台を用意したのだろう。スーパークリークは日本の競走馬としては珍しく、現役時代2000㍍以上の距離だけを走っている事実からも伊藤の確信が理解できる。因みに1987年という年は後に同馬の主戦騎手となる武豊がデビューした年でもあり、こうした偶然もサラブレッドに関わる人馬の繋がりを感じさせる。

 デビュー戦は3番手について最後の直線で先行馬を追うものの、まだ緩さが残り内にもたれて2着に終わっている。今ほど大型馬がいない当時の502㌔という馬体も結果として絞れたとは言い切れず、「叩いて良化」の期待も含んだ3週間後の2戦目で初勝利を挙げた。

 明けて1988年。日本競馬界は複数の3歳馬の台頭で盛り上がりを見せていた。皐月賞ではヤエノムテキ、そして日本ダービーでサクラチヨノオーが優勝。2歳時に圧倒的な強さを見せていたサッカーボーイもこの世代であり、笠松競馬場で連勝街道をひた走っていた怪物オグリキャップが中央競馬に移籍したのもこの年の春で、地方馬ゆえにクラシック登録がない同馬の秋以降のGⅠでの可能性に夢を抱くファンが徐々に増え始めてもいた。

 表舞台で躍動するそうした同期の重賞馬達と比べると、夏の時点でのスーパークリークはまだ日陰の存在だった。年明け初戦の福寿草特別は4着で、クラシック路線への挑戦となった2月14日のGⅢきさらぎ賞では3着に終わっていた。それに続く3月19日のすみれ賞では武豊との初のコラボレーションが実現し優勝していたが、その後は体調を崩し、さらに軽度の骨折を負ってしまい半年間レースから離れることになったのだ。私自身、多くのサラブレッドを育ててみて、また顧客の代理で現役馬のマネジメントに関わってみると、3歳の夏を如何にして越すかというのがひとつのテーマになっている。生物学的にはまだ未熟な軽種馬の3歳を使い減りしないように大事に育て、後に大輪を咲かせる状況を用意するためだ。この時期のスーパークリークはまだ体調面で不安定であり、骨折したことで長期の準備期間を確保できたことは、上のレベルへ到達するために大きく寄与したのではないかと、本稿を書き進めながら結論付けてみたくなる。


続きは、11月25日発売の『優駿』12月号でお読みください。

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