今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(61)

未来に語り継ぎたい名馬物語(61)
史上最大着差で“世界”に勝利
タップダンスシチーが得た転機
文 = 三好達彦

今月の立ち読み

キャリアを重ねて出会った新たなパートナーと築き上げた徹底した先行策。
迷いなき戦術を得て、ジャパンC、宝塚記念と2つのGⅠを制し、
8歳まで現役を続けた彼は、いかにして一流に上り詰めたのか――。


 2002年12月22日。有馬記念が行われた中山競馬場の調教師席で佐々木晶三は静かに佇んでいた。管理馬のタップダンスシチーを出走させていたからだ。

 そのとき、佐々木の右手にこそ双眼鏡が握られていたが、もう一方の左手には帰り支度を済ませたカバンがさげられていた。管理馬がゴールし、無事を確認したらすぐ帰途に就こうと思っていたからである。

 佐々木はのちに、このときの心境を「まったくの無欲」と表現している。タップダンスシチーは重賞を勝利していたものの、GⅠレースは5歳にして今回が初出走という身。ほかの出走馬には、3歳にして天皇賞(秋)を快勝したシンボリクリスエス、無敗のまま秋華賞、エリザベス女王杯を勝って臨んできたファインモーション、前年の日本ダービー馬にして、3歳でジャパンC制覇という偉業を成し遂げたジャングルポケットなどの強者がずらりと顔を揃えていた。タップダンスシチーの単勝は出走14頭中13番人気で、オッズは86.3倍。ファンはもちろん、当の佐々木でさえ勝負にはなるとはまったく思っていなかった。仕上げに自信はあったが、ここに揃った馬たち、特に「日本の歴代最強馬だと思っていた」シンボリクリスエスは、そう簡単に通用するような相手ではない、と。それゆえの“帰り支度”だったのである。

 好スタートを切ったタップダンスシチーは一旦先頭に立ったが、1周めのスタンド前、ファインモーションがファンの大歓声に反応して引っかかると、一気に先頭に立ってレースを先導するかたちになる。馬群が向正面に入ると、やっと落ち着いたファインモーションがペースを落としていくが、そのタイミングを見計らったようにこんどはタップダンスシチーがスピードを上げてファインモーションから先頭を奪い返し、後続を引き離しながら3コーナーを回る。佐藤哲三の絶妙な手綱さばきが見事にはまった。

「面白いレースやな、と思って見ていたら、まったく脚色が衰えないからびっくりした」佐々木は、ここで左手のカバンを落としてしまったという。

 直線へ向いてもタップダンスシチーは後続にまだ数馬身の差を付けていた。スタンドが騒然とするなか、シンボリクリスエスが中団から猛然と末脚を伸ばしてきた。

 間に合うのか、間に合わないのか。

 結果、ゴール寸前でシンボリクリスエスにわずかに交わされ2着に敗れはしたが、タップダンスシチーは最後の最後まで天皇賞馬を苦しめた。

 騎手の佐藤はのちに「僕のなかではシンボリクリスエスが『いちばん強い馬』でしたから、最後にスッと交わされたのが悔しかった」と振り返っている。また佐々木は、「以前から将来は強くなる馬だとは思っていたけれど、振り返れば最初に大きな手応えを感じたのはクリスエスの2着になった有馬記念でしたね」と回顧している。

 二人の言葉のとおり、タップダンスシチーにとってこの日は彼の大きな転機になった。

充実につながるメンタル強化と
パートナーとの出会い

 タップダンスシチーは、父が米G1を2勝したプレザントタップ(Pleasant Tap)、母の父がノーザンダンサー(Northern Dancer)という血統背景を持つ米国産馬。血統的にはさほど期待されていなかったが、それでも500㌔を超す雄大な馬体は見栄えがして、佐々木は初めて彼を見た際、「重賞の一つや二つは勝てるかもしれない」と感じたという。

 それよりも、スタッフが手を焼いたのは気性の難しさだった。

「名前のとおり、レースに行く前にはまるでタップダンスを踏むように、ずっとチャカチャカしていた」と佐々木が言うように、パドックを周回するあいだ、いつもスタッフ二人が手綱を持つ、いわゆる“二人曳き”を強いられた。デビュー戦は後方からまったく伸びず2秒2差の9着に大敗したかと思えば、一転、折り返しの新馬戦では追い込みで際どい勝負を制して初勝利を挙げ、次走の若草Sはまた5着に敗戦と、気分屋の性格は成績にも表れていた。そんな中でも、1勝馬の身で臨んだ5月の京都新聞杯では、のちに日本ダービーを制するアグネスフライトと0秒5差の3着に食い込んで素質の片鱗を見せていたのは確かである。

 しかしメンタルの問題はなかなか解消せず、ようやく2勝めを挙げたのはそれから5戦後の12月になってからのことで、それも500万下クラスに居ながら、900万下の特別戦へ“格上挑戦”しての勝利だった。また、4歳になっても勝ち切れないレースを続けていたにもかかわらず、1000万下の身で2クラスも上の重賞、日経新春杯に出走すると、勝ったトップコマンダーと0秒2差の3着に来てしまう。それがタップダンスシチーの難しさであり、面白さでもあった。

 日経新春杯で強い相手と戦った経験が活きたか、彼は1000万下と1600万下の特別戦を連勝。5歳の春にしてようやくオープン入りを果たし、日経賞を僅差の2着、メトロポリタンSを3着とするなど、成績は徐々に安定していった。これには「いつもタップダンスを踏んでいた」彼のメンタルの不安定さが徐々に収まってきたことも大きく影響したと、のちに佐々木は愛馬の成長について振り返っている。

 5歳の9月、タップダンスシチーはその後の彼の競走生活を変える名パートナーと出会うことになる。騎手の佐藤哲三である。


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