今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(53)

未来に語り継ぎたい名馬物語(53)
史上最少体重のグランプリホース
ドリームジャーニーの旅路
文 = 石田敏徳

今月の立ち読み

早くから頭角を現した2歳王者は、古馬となって春秋グランプリ制覇を果たした。
その活躍は、名種牡馬として名を馳せた父・ステイゴールドや母、
そしてまだ知らぬ弟の命運をも切り開いた。


 1年生種牡馬の近況を取材するため、いくつかの種馬場を回った2002年の夏、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションに繋養されているステイゴールドの前で、事務局の秋山達也がこんな話をしてくれた。

「こんなに小柄な種牡馬がこれほどの人気を集めるなんて、以前にはとても考えられませんでした」

 競走時代の馬体重は概ね430㌔前後。最少時には408㌔でレースを走ったこともあるステイゴールドは明らかに小さな馬だった。小柄な種牡馬からは華奢な体格の産駒が生まれやすく、生産者は二の足を踏む傾向が強い。ところが初年度の02年、ステイゴールドの種付け頭数は177頭に達し、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションのレコード(当時)を記録した。

 それほどの人気を博した背景には、サンデーサイレンスの直仔であること、悲願のG1制覇を果たした引退レース・香港ヴァーズの鮮やかな勝ちっぷりなど、いくつもの要因が挙げられた。「受胎確認後150万円、産駒出産後200万円」と設定された種付料もそのひとつである。

 一方で“リーズナブル”といえた種付料には種牡馬としての立ち位置が示されてもいた。たとえば02年から種牡馬入りした同期生のうち、アグネスタキオンとテイエムオペラオーの種付料は500万円。要するにステイゴールドは、ハイクラスではなく「ミドルクラス」という位置づけの種牡馬だったのだ。

 しかしステイゴールドはそんなスタート地点から次々に活躍馬を送り出し、大種牡馬への道を歩んでいく。その過程において非常に重要な役割を果たしたのが、産駒初のGⅠウイナー・ドリームジャーニーだった。

父のイメージと母の運命を
変えた2歳戦からの活躍

 母のオリエンタルアート(その父メジロマックイーン)は中央で3勝を挙げ、準オープンまで進んだ馬。ただし3勝はダートの新馬戦と平場戦で記録、格上挑戦した重賞では大敗を繰り返し、お世辞にも「ハイクラス」とはいえない存在だった。02年7月の加古川特別(蛇足になるがこのレースには、のちにゴールドシップの母となるポイントフラッグも出走していた)を最後に引退が決まった同馬は翌春、種牡馬2年目を迎えたステイゴールドを配合され、生まれ故郷の白老ファームで繁殖入りした。

 04年2月24日、オリエンタルアートが出産した牡馬は、初仔であることを割り引いても華奢な体つきをしていた。同期生のなかでは群を抜いて小さかったため、しばらく離乳を遅らせて成長を待ったものの、最終的には「これ以上、母親と一緒にしていても体は大きくならない」と判断され、離乳に踏み切ったという。

 ただ、体は小さくても肝は据わっており、馴致などで未知の経験をさせられるときでも物怖じはしなかった。怪我や病気とも無縁で育ったこの仔馬はステイゴールド、メジロマックイーンを管理した池江泰郎の息子、池江泰寿(以下、池江)に預けられることが決まる。04年3月に厩舎を開業したばかりのトレーナーに「開業祝い」として預託を依頼したのは、社台スタリオンステーションの場長・角田修男である。

 メジロマックイーン牝馬にステイゴールドという配合も、白老ファームの繁殖牝馬の配合責任者を務めている角田が決めた。ちょっとした遊び心も感じられる“池江配合”には後年、「黄金の配合」と熱い視線が注がれるが、その時点ではもちろん、誰もそんなことを知る由もない。


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