今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(41)

未来に語り継ぎたい名馬物語(41)
速さに秀でた最強の兄貴
ビワハヤヒデの安定感
文 = 辻谷秋人

今月の立ち読み

デビューから15戦連続連対と安定した取り口で、大舞台に上がり続けたビワハヤヒデ。
その道のりでは、”ナンバーワン”になれない苦悩と自らの力で現役最強の座を勝ち取った歓喜を味わった。
異色の血統から駆け上がった競走馬生活を改めて辿る。


 1993年の牡馬クラシック戦線で主役を務めた3頭には、ある共通点がある。彼らはそれぞれ、川上悦夫(ナリタタイシン)、藤原悟郎(ウイニングチケット)、そして早田光一郎(ビワハヤヒデ)という、若く野心に溢れた生産者によって、競馬場に送り出された。

 彼らの生産者が若かったこと自体に、さほどの意味があるわけではない。若い生産者はたいてい野心家であり、そうした野心家が活躍馬を出すことはめずらしいことではないからだ。しかし、同じ年に牡馬クラシックのタイトルをひとつずつ分けあった3頭が揃ってとなると、それにはなにか象徴的な意味があるのではないかと考えずにはいられない。

 当時、日本の競馬は国際化に大きく舵を切っていた。いや、国際化はそれ以前からの大きな懸案ではあったのだが、いよいよそれが避けられない流れになろうとしていたのである。クラシックレースの外国産馬への開放も現実味を帯びてきた。これまでとは違うステージに、日本の競馬は入ろうとしている。そんな空気が漂っている時代だった。

 若い生産者たちによるクラシック独占は、日本の競馬が変わろうとしていること、変わらざるをえない岐路にいることを示していたのではないか。

 そんな「何か新しいことが起きようとしている」予感を、中でもことさら強く感じさせたのが、“生産界の風雲児”早田光一郎であり、ビワハヤヒデだった。

 ビワハヤヒデが初めて競馬場に姿を現したのは、92年9月のことである。

新馬戦から3連勝で
3歳王者の最有力候補に

 阪神競馬場での新馬戦を2着に1秒7もの大差をつけて圧勝すると、続く京都のもみじS、デイリー杯3歳S(当時のレース名・馬齢表記、以下同)をともにレコードで連勝して3歳チャンピオンの最有力候補と目されるようになった。

 だが、この浜田光正厩舎の持込馬は、それまでの持込馬とは、ちょっと毛色が違っていた。

 持込馬とは、欧米の(日本に連れてこられない)一流種牡馬の仔を入手する手段のひとつというのが一般的な認識であり、持込馬すなわち良血馬のイメージがあった。

 しかしビワハヤヒデの父シャルードはまったくの無名種牡馬で、競走成績にも特筆すべきものはない。

 そういう種牡馬の仔でもこんなに走るんだ、というのがまずひとつの驚きだった。

 この前年、やはり無名種牡馬であるスタッツブラックホーク産駒のケイエスミラクルが、スプリント路線で大活躍した記憶もまだ新しかった。欧米では活躍馬を出せない種牡馬でも、レベルの低い日本なら走ってしまうのか。

 一方、ビワハヤヒデの母パシフィカスはといえば、父が世紀の大種牡馬ノーザンダンサーで母もG1勝ち馬、近親にも活躍馬が多い血統馬である。お腹にいる仔の父が無名ということで安価で購入できたということだったが、逆に言えば無名種牡馬を付け、安価で売却する馬なのだ。言葉は悪いがこのくらいの牝馬ならいくらでもいるということでもある。

 それでも、走る。それが「世界の底力」ということなのだろう。ビワハヤヒデは、その鮮烈な登場と同時にそれを我々に突きつけたのだった。


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