今月の立ち読み

特別読物

スペシャルトーク
世界の名手2人が夢の共演
オリビエ・ペリエ & 武豊
写真・進行 = 沢田康文
構成 = 本城雅人

今月の立ち読み

1994~2009年にかけて毎年JRAの短期免許を取得して来日し、有馬記念を3連覇するなど、当時の日本競馬で巧みな手腕を披露してくれたオリビエ・ペリエ騎手。今年も母国のGⅠで3勝を挙げるなど相変わらずの活躍を見せている。今回はかねてから親交が厚い武豊騎手との特別対談をお届けしていこう。


武 ――
今回、『優駿』が「900号」を迎えたということで、編集部から「武さん、誰か対談したい方、いらっしゃいますか」と聞かれたんだよ。その時にパッと浮かんだのが、オリビエだったんだよね。日本のファンの前でこうして話をする機会はずいぶん遠ざかってるなと思って。

ペリエ ――
ユタカに選んでもらえたのは嬉しい。世界中の競馬場などでよく会うけど、ゆっくり話す機会はそんなになかったものね。

武 ――
それで、初めはオリビエが騎乗予定だったフォンテーヌブロー競馬場(※1)でこの話をする予定だったけど、パドックに馬が出始めてもオリビエが現れない。関係者に聞いたら「オリビエは飛行機に乗り遅れたので騎乗変更しました」って言われて。

ペリエ ――
あの時はごめん。寝坊とかで乗り遅れたんじゃないよ。自宅から空港に向かう途中に事故渋滞に遭ってしまって。それで仕方なくキャンセル。

武 ――
その日、自分が騎乗したレースで勝てたから文句はないんだけど(笑)。

ペリエ ――
そうだ。フォンテーヌブローで勝ってたよね(笑)。

武 ――
オリビエとは本当に長い付き合いになる。実際、自分が4つ年上だけど、海外ではオリビエの方が兄貴という感じで。初めて会ったのは、1994年のムーランドロンシャン賞(※2)だったから、もう24年も前になるね。

ペリエ ――
実はその年の春に、中山競馬場で行われた若手騎手の国際招待競走に呼ばれて、それがボクの日本での初騎乗だったけど、あの時、ユタカは違う競馬場で乗っていたから、会ってはいなかったんだよね。でもひょっとしたら夏のドーヴィル競馬場ですれ違っていたかもしれないけど。

武 ――
夏のドーヴィルには行っていたから、ニアミスしていた可能性はある(笑)。

ペリエ ――
いずれにしても、94年で間違いないよ。あの年のムーランドロンシャン賞はユタカがスキーパラダイスで勝って、海外GⅠ初勝利というメモリアルになったんだから。しかもレースで使用していたのがボクの鞭。

武 ――
そう。20代の半ばで本格的に世界を飛び回って騎乗しようと思い始めた時期だったんだよね。あの年もアメリカのシカゴから直接フランスに入ったんだよ。だけど、鞭の長さの規程がヨーロッパとアメリカとでは違っていて、持っていたものが使えないことをロンシャン競馬場に入ってから気付いた。それで「どうしようか」と困っていると、すぐに声をかけてくれたのがオリビエだった。

ペリエ ――
ユタカが困っていたのを覚えてる。

武 ――
フランスではキャッシュ(※3)もすごくかわいがってくれて、よく面倒を見てくれたけど、憧れの存在という意識が強かったし、歳も離れていたんで、気軽に話しかけられなかった。だけどオリビエとは同世代で年も近いし、気心があってすぐに友達になれた。

ペリエ ――
お互いに片言の英語しか話せなかったけど、十分意思疎通が出来たし、競馬に対する姿勢というもので、ユタカとは通じるものがあったからね。ジョッキールームで着替えるユタカを見た段階で、(自分が行った)日本からもこういうジョッキーが出てきたんだなって思った。あの年のムーランドロンシャン賞はキャッシュの馬が本命で、スキーパラダイスはそれほど人気はなかったけれど、ユタカの追い込みが鮮やかに決まったね。

武 ――
オリビエは今年のムーランドロンシャン賞を勝ったね。おめでとう。

ペリエ ――
アリガトウゴザイマス。騎乗したレコレトスはユタカもよく知っているカルロス・ラフォンパリアス厩舎の馬で、昨年の仏ダービーで3着だった馬。今年はマイル路線に変えてGⅠを2つ勝てた。ムーランドロンシャン賞はアタマ差の勝利でギリギリだったけど、グッドレースだった。

武 ――
スキーパラダイスのムーランドロンシャン賞の頃から、オリビエはすでにヴィルデンシュタイン家(※4)と契約を結んでいて欧州競馬のホープで注目株だった。フランスがシーズンオフになる冬場にも競馬に乗りたいと相談を受け、それでうちの父を紹介してJRAの短期免許を取ることになった。あの頃はまだ、幸四郎が競馬学校にいた時期だ。

ペリエ ――
だからボクの日本での最初の師匠は武邦彦先生。一昨年、亡くなられたと聞いた時はすごくショックだったよ。

武 ――
父もすごくオリビエのことが好きだった。

ペリエ ――
当時のことでまず覚えているのが、ボクとユタカが東西で同じ日(96年1月28日)に重賞を勝った日のことかな。

武 ――
僕がクイーンCのイブキパーシヴで。

ペリエ ――
ボクはショウリノメガミ。

武 ――
京都牝馬特別だったかな。

ペリエ ――
タケクニ先生がすごく喜んでくれた。

武 ――
親父、嬉しそうやったなぁ。短期免許で来日した騎手はその前にもいたけど、フランスからの第1号がオリビエだったからとくに注目されていた。オリビエは調教にも毎日出ていたし、どんな調教をして、どんなレースをするんだろうって、みんなが見てたよね。

ペリエ ――
ボクは自分のことでいっぱいで、それどころじゃなかったけど(笑)。

武 ――
当時は周りの環境が今とはなにもかも違っていたからね。今のようにパソコンや携帯電話で簡単に情報を得られる時代じゃなかった。馬を覚えるのも大変だったし。

ペリエ ――
でもユタカは全部覚えていたよね。

武 ――
競馬四季報を見て記憶してたね。それは(ネットなどに頼らないのは)今も同じだよ。

ペリエ ――
あの頃は、携帯電話がようやく普及し始めたばかりだったものね。

武 ――
調整ルームの入室時間(※5)も金曜日の昼の12時だった。海外の競馬で騎手が前日から調整ルームに入るという習慣はないし、今のように外国人騎手が当たり前のように有力馬に乗れる時代ではなかった。そんな中でオリビエは関係者みんなから好かれて、実力で一から自分の地位を築き上げた。

ペリエ ――
失敗もたくさんしたけどね。

武 ――
あっ、オリビエにえらい失敗させたのを思い出した。ある厩舎の勝ち祝いがあって、オリビエに「ウイニングパーティーに呼ばれてるから行こう」と誘ったら、厩舎の前でのバーベキューだったのに、オリビエは奥さんとフォーマルスーツでばっちり決めてきたことがあって……確かに勝ち祝いだから、言った言葉で意味は間違ってはないけど、フランス人に「パーティー」と言えばあの恰好になるわね。あの時は本当に申し訳なかった(苦笑)。

ペリエ ――
あれはびっくりしたよ(笑)。でも日本には良い思い出がたくさんある。最初はユタカに車を運転してもらって案内してもらったけど、1人でも行けるようになり、神社やお寺、京都だけでなく奈良にも行った。

武 ――
逆にオリビエからはフランス語も教わったかな。大丸のことをオリビエが「デマル」って言ってて、それで「フランス語の『ai』は『e』って発音するんだ」って覚えたり。


※1  オリビエが騎乗予定だったフォンテーヌブロー競馬場
2018年9月11日のこと。この日、武豊騎手は一般戦(芝2000m)を勝利。競馬場は、パリ市街から約65km離れた郊外のフォンテーヌブローの森の中にある。

※2  ムーランドロンシャン賞
9月に仏国のパリロンシャン競馬場で行われる、芝1600mのGⅠレース。歴代の勝ち馬にはミエスク、キングマンボ、ロックオブジブラルタル、ゴルディコヴァなどがいる。日本調教馬は過去に4頭が出走し、2003年に後藤浩輝騎手が騎乗したローエングリンによる2着が最高着順。

※3  キャッシュ
キャッシュ・アスムッセン。1962年、米国生まれ。元騎手。79年にデビューし、同年からGⅠを勝つなど活躍。82年仏国に移籍後5回、仏国リーディングジョッキーに輝いた。主な騎乗馬はモンジュー(99年愛ダービー)、スワーヴダンサー(91年凱旋門賞)など。なお、81年の第1回ジャパンCをメアジードーツで制している。

※4  ヴィルデンシュタイン家
美術商ダニエル・ヴィルデンシュタイン(1917~2001年)一族による仏国の馬主・生産組織。代表的な所有馬には4頭の凱旋門賞馬(アレフランス、オールアロング、サガス、パントレセレブル)などがいる。

※5  調整ルームの入室時間
騎手は外部との接触を防ぐため、競馬に騎乗する前日の21時までに競馬場、トレーニングセンターに併設されている調整ルームに入らなければならない。2011年10月7日から現在の21時となったが、それ以前は前日の18時、同16時、同12時と、何度かの変遷を経ている。


続きは、11月24日発売の『優駿』12月号でお読みください。

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