今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(30)

未来に語り継ぎたい名馬物語(30)
鍛えて強くなった二冠馬
ミホノブルボンと坂路
文 = 石田敏徳

今月の立ち読み

 サンスポの競馬記者として働いていた頃、栗東に出張すると社の先輩にあたる山本尊さん(現在はフリーで活躍されている)がときどき、厩舎関係者との飲み会に私を誘ってくれた。調教助手の安永司さんとはそうやって知り合った。

「安永さんの担当馬はこの前、中京の新馬戦で凄い勝ち方をしたんやで」

 その馬がミホノブルボンだった。

 ひょんな出会いのおかげもあって以降の1年余り、私はミホノブルボンの番記者を担当し、様々な場面や言葉を見聞きした。なかでも特に印象深いのが菊花賞の後、京都競馬場の厩舎で目にした“涙”だ。その場に居合わせた記者は3人だけ。私はそのなかの1人だった。

“代用配合”によって
稀代の快足馬は誕生した

 ミホノブルボンは1989年4月、門別の原口圭二牧場で生まれた。祖母のハイフレームは名牝スターロッチの姪にあたり、もともとはトウショウ牧場で繋養されていた繁殖牝馬。一方の原口さんは父が始めた牧場を継ぐ以前、トウショウ牧場で働いていた時期があり、その縁でハイフレームを譲り受けた。

 稀代の快足馬が“代用配合”によって誕生したエピソードはよく知られる。牧場に来てから3年目(82年)の繁殖シーズン、原口さんはハイフレームにダンディルートを配合したかったのだが、同馬は2年前の秋に早世しており、同レベルの一流種牡馬には予算面の制約から手が出せなかった。そこでまず、ダンディルートと同じ父(リュティエ)を持つ無名種牡馬のシャレーに白羽の矢が立てられる。

 翌年に誕生した牝馬はカツミエコーと名付けられ、公営・南関東で12戦1勝という戦績を残して牧場へ帰ってきた。初年度の配合相手はマグニテュード。このときも本心では活躍馬を続々と送り出していたミルジョージを付けたかったのだが、予算がネックで手が出せず、同じミルリーフ産駒ながら種付料が安いマグニテュードを花婿に選んだ。蛇足になるが、現役の重賞3勝馬ウキヨノカゼも原口さんの生産馬で、その父はディープインパクトの全弟オンファイア。やはり「代用で決めた配合」だという。

 ともあれ、カツミエコーは翌春、立派な体格をした栗毛の牡馬を出産した。その仔馬はやがてミホノブルボンと名付けられ、栗東の調教師・戸山為夫の管理馬として競走生活を送ることが決まる。坂路調教のパイオニアで、独特のスパルタ調教によってめきめきと成績を挙げ始めていたトレーナーとの邂逅。運命の歯車が大きな音を立てて回り始めた。


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