今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(31)

未来に語り継ぎたい名馬物語(31)
類稀なる才能で世代の頂点に。
キズナのさまざまな”絆”
文 = 軍土門隼夫

今月の立ち読み

武豊騎手を背に日本ダービーで世代の頂点に立った『キズナ』。 3歳秋には凱旋門賞挑戦のためフランスに渡り、前哨戦では同世代の英ダービー馬に勝利した。 異国の地でも、類稀なる才能を遺憾なく発揮した同馬の歩みを振り返ろう。


 キズナについて思い返していると、さまざまな物事が、鮮やかなビジュアルを伴って甦ってくる。

 額にポツンと輝く白い星。まるでサラブレッドの完成形のような、素晴らしく均整のとれた馬体。

 長い首を下げ、リズミカルに動かして走るフォーム。大きなストライドで繰り出す豪快な末脚。

 外から他馬を1頭、また1頭と抜いていったダービーの直線。先に仕掛けたトレヴを追いかけ、果敢に動いていった凱旋門賞のフォルスストレート。そして、水色の地に赤い十字のタスキが印象的な勝負服に身を包んだ、武豊騎手の姿。

 そんないくつもの記憶の中で、ごく個人的にだけど、妙にいつまでも頭に残って離れないものがある。キズナの姿や動きに関するものではない。取材の中で聞いた、あるエピソードだ。

 2013年5月末。キズナが第80代ダービー馬となった数日後、僕は本誌の取材で、編集者とともに鳥取県伯耆町にあるノースヒルズの育成施設、大山ヒルズを訪れていた。

 僕たちが東京から到着したとき、ゼネラルマネージャーの齋藤慎さんはテレビ局による取材を終えたところだった。じつはちょうどこの日、キズナがダービーの激闘の疲れを癒やすため、栗東トレーニング・センターから戻ってきていたのだ。

 この地域で映る民放テレビ局は3つあったが、うち2局に、NHKと地元のケーブルテレビ局を加えた計4台のテレビカメラが来ていたと齋藤さんは教えてくれた。コメントはもちろんなのだが、それらのカメラがまず撮りたがったのは、到着した馬運車からキズナが降りるシーンだった。

「みなさん、鳥取出身のダービー馬が凱旋、という取り上げ方をしてくれているんですよ」

 齋藤さんは感慨深そうに言って、続けた。

「生まれは北海道ですが、育ったのはほとんどここですからね。鳥取からダービー馬が出た、と喜んでもらえているんです。嬉しいですよ」

 これがただの「ちょっといい話」ではなく、いかにもキズナらしいエピソードだったのだと気づいたのは、それからずいぶん経ってからだ。

 キズナに限らず、どの競走馬にも母がいて、父がいる。生産者がいて、育成に携わった人がいる。調教師や厩舎スタッフがいて、騎手がいる。オーナーがいる。そしてファンがいる。みんなそうだ。

 でも稀に、そういった“絆”の存在をとても強く感じさせる馬がいる。

 大山ヒルズで齋藤さんから聞いたのは、キズナと鳥取の“絆”のエピソードだった。そしてキズナは、そういうものを他にも、不思議なほどたくさん持っている馬なのだった。

生産馬の中でも、早くから
大きな期待を受けた、特別な馬

 キズナは10年3月5日、北海道新冠町のノースヒルズ(当時の名称はノースヒルズマネジメント)で生まれた。


続きは、2月24日発売の『優駿』3月号でお読みください。

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