今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(40)

未来に語り継ぎたい名馬物語(40)
比類なき末脚の持ち主。
ハープスターの挑戦
文 = 村本浩平

今月の立ち読み

 ノーザンファーム早来で、牝馬厩舎の調教主任を務める日下和博にとって、ハープスターの血統は、自身のホースマン人生を語る際の「略歴」ともなる。

 日下が当時の社台ファーム早来(現在のノーザンファーム)に入社して間も無い頃、初めて跨がったGⅠ馬が、ハープスターの祖母であるベガだった。

「ベガに騎乗していた頃は、乗り味の良さなど全く分かっていませんでした。ただ、生まれて初めて競馬場で見たGⅠがオークスであり、脚が曲がっていて、競走馬になれないかもと言われていた馬が、GⅠを勝てた衝撃は今でも忘れられません」 

 誰の目にも分かるほどに左前肢が内向していたベガだったが、それを補えるだけの柔軟な走りで、卓越した競走能力を証明していく。デビュー2戦目に勝ち上がってからは、チューリップ賞に続き、桜花賞も優勝。日下の目の前でオークスも制して牝馬二冠を達成した。

 エリザベス女王杯で3着に敗れた後は勝ち鞍に恵まれず、4歳時の宝塚記念の後に左前肢第一指骨の骨折が判明すると現役を引退。ノーザンファームで繁殖入りし、初仔から日本ダービー馬のアドマイヤベガを送り出す。そのほか、アドマイヤボス、アドマイヤドンといった、ベガの子供たちにも日下は騎乗してきた。

 その後、牝馬の育成厩舎へと移った日下の下に、ベガが初めて牝馬を誕生させたとの知らせが届く。後に、ヒストリックスターと名付けられた馬だが、幼少時の怪我の影響からデビューを果たすこと無く、早々に繁殖入りとなった。

「引退は残念でしたが、いつか、自分の厩舎でヒストリックスターの子供を手がけたいと思えるようになりました。それだけに、ハープスターが自分の厩舎に来ると分かった時はワクワクしました」

育成の時点における期待値は
あの「名牝」を遥かに上回っていた

 ベガの背中に跨がってから約20年。その時、牝馬厩舎の厩舎長を任されていた日下は、その血脈との邂逅を果たす。

 母ヒストリックスターにとって3番仔となるハープスターは、2011年4月24日にノーザンファームで生を受けた。父ディープインパクトや、その産駒たちにも数多く跨がってきた日下だったが、育成厩舎に来たハープスターの姿は、父の産駒どころか、ベガの面影も感じさせないような、コロンとした体形をしていた。

「馬体からすると、母の父であるファルブラヴが強く出ているのかなと思いました。ただ、動きの機敏さはディープインパクトであり、歩様の柔らかさはアドマイヤベガとそっくりでした」

 騎乗調教へ移行し、日下の期待が確信に変わった。ハープスターは、まるでバランスボールの上かと錯覚させるほどの弾むような動きで、軽々と屋内坂路を駆け上がっていった。

 それまで、日下の中での「名牝」と言えば、天皇賞・秋で牡馬を一蹴したエアグルーヴであり、ジャパンCで世界の名馬を退けたブエナビスタだった。日下厩舎で育成されていたブエナビスタもまた、育成の過程から能力の高さを感じさせていたが、その時点における期待値は、ハープスターが遙かに上回っていた。

「ただ、当時のハープスターはマイラーだとも思っていました。管理をしてくれた松田(博資)先生にもそう伝えましたが、入厩後に『マツパク流』と言われる調教を施されたからこそ、距離の壁を克服できたのかも知れません」

 日本競馬の調教を変えた坂路調教。しかしながら、祖母のベガやブエナビスタも手がけていた松田厩舎では、主にウッドチップコースを用いながら、長めの距離を乗り込む調教を主体としていた。

 その『マツパク流』の調教で、距離の不安を払拭するような活躍を残したのが、ジャパンCを制したアドマイヤムーンと言えるだろう。そして、ハープスターもまた、マイルからクラシックディスタンスへと距離適性を広げていった。

 マイラーだという日下の進言もあり、芝の1400mで行われたメイクデビュー中京を快勝したハープスターは、新潟2歳Sへ出走する。ゲートが開くとポジションを下げていき、道中では最後方からの追走を余儀無くされるが、それは衝撃的なパフォーマンスのプレリュードでしか無かった。

 新潟競馬場の外回り658.7mという長い直線を、馬群の真ん中に進路を取ったハープスターは、鞍上の川田将雅騎手のゴーサインに応えると、弾むような末脚を爆発させていく。前にいたはずの17頭を並ぶ間も無く交わし、後に皐月賞馬となるイスラボニータにも、3馬身差を付けてゴール板を駆け抜けた。


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