今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(38)

未来に語り継ぎたい名馬物語(38)
夏の上がり馬から一躍スターダムへ。
マヤノトップガンの不思議
文 = 土屋真光

今月の立ち読み

3歳夏から急成長で菊花賞を勝ち、その勢いのまま年末の有馬記念も制して、年度代表馬にまで上り詰めたマヤノトップガン。翌年の阪神大賞典での、ナリタブライアンとのマッチレースは、今も名勝負としてファンに語り継がれている。変幻自在の脚質でターフを沸かせた同馬の活躍を振り返ろう。


 何がベストであるのか最後まで
試行錯誤が続いていたのではないか

 マヤノトップガンといえば、結果的に引退レースとなった5歳時の天皇賞・春が印象的だ。馬名に使われた「トップガン」は、撃墜王のようなイメージから、この天皇賞こそ馬名を体現したように思われやすい。しかし、そもそもの由来である同名映画での意味に沿うと、米海軍戦闘機兵器学校で、むしろ「撃墜王養成学校」の通称である。

 そもそも、マヤノトップガンは、実に不思議な馬だった。初勝利は京都競馬場で実質一番短い距離のダート1200m(1100mの設定はあるが83年以降使用されていない)で、最後の勝利が同じく京都で一番長い芝3200m。3歳時に有馬記念を逃げ切ったと思えば、5歳の阪神大賞典では後方からひとまくりを見せ、続く天皇賞・春では大外一気の豪脚を披露した。よく言えば変幻自在。だが、実際のところは、力がある故に、何がこの馬にとってのベストであるのか最後まで試行錯誤が続いていたのではないかと推測する。

 そのせいか、決して華のある馬ではなかった。美しい栗毛の馬体、顔の中心に白く伸びる流星はまごうことなくグッドルッキングである。当然、魅せられるファンも個々にはいたのだが、ひと世代前のナリタブライアンや、続く世代のサイレンススズカのように、ファン全体として絶大な支持や信頼を集めるような馬では決してなかった。事実、3歳で年度代表馬となった以降、引退までの8戦で1番人気に推されたのは4回で、そのうちGⅠでの1番人気は宝塚記念の1回だけであった。

 勝利した5歳時の天皇賞・春が、なまじ強烈な印象を与えたために、余計に3~4歳時の印象が薄くなってしまったのかもしれない。もとより、競走生活を通して、連戦連勝の無双タイプではなかったし、惨敗と劇的な勝利を繰り返すような馬でもなかった。では、この馬にドラマがなかったのか。答えは否だ。そのためには、マヤノトップガンがデビューした3歳時の1995年という年の特異性に触れておきたい。


95年は現在にも続く大きな
ターニングポイントとなった年

 95年は競馬の世界でも、日本という国にも大きな出来事が起きた、言い換えれば現在にも続く大きなターニングポイントとなった年だった。

 ひとつは「開放元年」と呼ばれる、地方所属馬への中央競馬のGⅠ競走の門戸開放だ。前哨戦などで一定の条件を満たし、優先出走権を得られれば、地方所属馬でも中央に移籍することなくビッグレースに出走できるというもの。今となっては当たり前のように思えるものだが、当時としてはとてつもないパラダイムシフトであった。

初年度からこの制度によって、皐月賞には弥生賞3着で権利を得た高崎のハシノタイユウが、菊花賞には神戸新聞杯で3着だった笠松のベッスルキングが出走した。さらに牝馬では、同じく笠松のライデンリーダーが報知杯4歳牝馬特別(当時のレース名、以下同)を圧勝して、桜花賞では1番人気に支持された。その後もオークス、さらに当時は3歳馬のレースだったエリザベス女王杯に駒を進めた。3頭ともに、GⅠでは結果を残すことはできなかったものの、クラシック戦線の盛り上げに大きく寄与した。

装いを新たにした95年のクラシック戦線で猛威をふるったのが、この世代が初年度のサンデーサイレンスの産駒たちだった。とりわけ牡馬は、前年の朝日杯3歳Sを無敗で制し、2歳チャンピオンになったフジキセキが3歳初戦の弥生賞も楽勝。皐月賞直前の故障で電撃引退、種牡馬入りとなってしまったが、二の矢、三の矢としてジェニュインが皐月賞を、タヤスツヨシがダービーを勝利、牝馬もオークスは桜花賞で2着だったダンスパートナーが勝利した。あっさりと、春のクラシック4つのうち3つを制圧してしまったのである。

そして、もっとも大きかったのは1月17日に発生した阪神淡路大震災だ。マヤノトップガンがデビュー戦を迎えて9日後の出来事。冠名“マヤノ”は、兵庫県の摩耶山が由来であり、オーナーである田所祐は神戸市灘区に自身の病院を開業していた。田所自身は難を逃れたが、経営に携わっていた弟夫妻は震災の犠牲となってしまったのである。

中央競馬も阪神競馬場が大きく損壊してしまい、予定されていた開催は京都や中京など、他の競馬場で代替された。震災とは無関係の場面でも、中央競馬にとって負の連鎖は続く。前年の三冠馬で、この年の堂々たる主役として目されていたナリタブライアンが、阪神大賞典を圧勝後に故障で戦線を離脱。秋に復帰するも、3戦していずれも精彩を欠くレースが続く。ナリタブライアン離脱後に天皇賞で復活を遂げたライスシャワーは、続いて出走した復興支援競走として行われた宝塚記念で命を落としてしまう。先のフジキセキの離脱もそう。

期待されたスターたちが相次いで表舞台から姿を消してしまったことが、ファンの中に次のスターを求める気持ちが醸成されていったのかもしれない。8月から9月にかけてフランスに遠征し、ノネット賞で2着になるなどして帰国したオークス馬ダンスパートナーが、牡馬三冠の最終戦である菊花賞に駒を進めてきた。ダービー馬タヤスツヨシや、トライアルの勝ち馬であるサンデーウェル、タニノクリエイト、ナリタキングオーらを差し置いて1番人気に支持されたのも、おそらくその表れだろう。

しかし、レースを制したのはマヤノトップガンだった。


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