今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(45)

未来に語り継ぎたい名馬物語(45)
時代の先を駆けた韋駄天
サクラバクシンオーの疾駆
文 = 三好達彦

今月の立ち読み

競馬史を語るうえで欠かせない
「桃、白一本輪、桃袖」。
この勝負服を背に、持ち前のスピードで他を圧倒し、
1400㍍以下では12戦11勝と
無類の強さを誇った華麗な〝サクラ〟。
スプリントGⅠ創生期に、
国内外の強豪を寄せ付けなかった
その快足ぶりを振り返る。


 さかのぼること4年前。2015年の牡馬クラシック戦線で盛んに語られた一つのテーマがあった。

「キタサンブラックは距離延長に対応できるのか、できないのか」

 いまとなってはつまらない冗談にしか聞こえないこの命題が、当時は専門家のあいだでも大真面目に討論されていたのである。

 その議論を巻き起こした大きな要因はキタサンブラックの母の父、サクラバクシンオーの存在にあった。

 1944年のJRA賞最優秀短距離馬に選出され、1400㍍以下のレースでは12戦11勝という圧倒的な成績を残したスプリント王。種牡馬となってからも主にマイル以下の短距離戦で活躍する産駒を送り出していたこともあり、彼を母の父に持つキタサンブラックの距離延長に対して疑問が投げかけられたのは無理もないことだった。最強スプリンターとしてのサクラバクシンオーのイメージは、それほど強烈に我々の記憶に焼き付けられていたからである。

サクラバクシンオーを語るうえで避けて通れないのがその父、サクラユタカオーのことだろう。

“天馬”トウショウボーイ、皐月賞や菊花賞を制したキタノカチドキなどを送り出し、5度のリーディングサイヤーに輝いた大種牡馬テスコボーイを父とし、曾祖母に有馬記念を制したスターロツチを持つ有数の名牝系から生み出されたサクラユタカオーは、当時の日本を代表する良血馬と言ってよかった。

デビューから3連勝で共同通信杯4歳S(現・共同通信杯)を制するなど、早くから抜群のスピード能力を見せながらも、骨折や慢性的な脚部不安に悩まされ、その本領を発揮するまでに相当な時間を要したサクラユタカオー。それでも4歳の秋に本格化すると、毎日王冠、天皇賞(秋)をいずれも当時のレコードタイムで快勝した。来るべき”スピード競馬の時代”を先取りするような活躍を見せた彼は、距離の限界はあったものの、2000㍍以下のレースに限ると7戦6勝(2着1回)というほぼ完璧な成績を残した。そして、手にしたGⅠタイトルは一つだけだったにもかかわらず、複数の生産者による激しい争奪戦を経て、生まれ故郷である北海道・日高の静内スタリオンステーションで種牡馬入りしたのだった。

その期待に応えて初年度産駒からダイナマイトダディ(中山記念、ほか)などの重賞勝ち馬を出したサクラユタカオーが2世代目の産駒としてターフへ送ったのが、父と同じオーナー(㈱さくらコマース)、調教師(境勝太郎)、騎手(小島太)によって競馬史に名を残すことになるサクラバクシンオーである。

クラシック戦線を断念し、
スプリンターとして歩む

父と同様に脚元の不安を抱えていたサクラバクシンオーだが、3歳の1月にデビューへとこぎつけた。脚への負担を考慮してダートの1200㍍戦に出走すると、2着に5馬身の差を付けて楽勝。続く黒竹賞(1600㍍、以下芝)はアタマ差の2着に敗れたが、1200㍍の桜草特別では後続に影をも踏ませず、2着に4馬身差を付けて逃げ切った。

1200㍍戦での圧勝続きでスピード能力は歴然としていたサクラバクシンオーだが、この時点ではまだ、関係者は彼をスプリンターと決めつけていたわけではなかった。素質馬には必ずと言っていいほどクラシックを狙わせていた当時の風潮に加え、母のサクラハゴロモ(父ノーザンテースト)が、天皇賞(春)や有馬記念を制したアンバーシャダイの全妹だったという血統的な背景もあったからだ。

しかし、クラシック戦線参入の期待を背負って皐月賞トライアルのスプリングSへ臨んだサクラバクシンオーだが、ここでその先の進路を決定づけるような敗戦を喫することになる。逃げるミホノブルボンの2番手につけて4コーナーを回ったものの、距離適性の問題だけではなく、のちに”大の苦手”だと判明する重馬場に脚をとられたこともあったのだろう。直線へ向くとずるずる後退し、悠々と逃げ切ったミホノブルボンから3秒5も遅れた12着に大敗してしまったのである。


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