今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語(73)

未来に語り継ぎたい名馬物語(73)
すべてが圧巻だった全4戦
フジキセキが駆け抜けたその軌跡
文 = 辻谷秋人

今月の立ち読み

大種牡馬サンデーサイレンス初年度産駒の代表格だったフジキセキ。
短い競走馬生活ながら、その存在は日本競馬界に衝撃と新たな価値観をもたらした。


 サンデーサイレンスが日本で種牡馬になる。

 そのニュースはたいへんな驚きを持って、日本の競馬ファンに迎えられた。

 1989年のアメリカ三冠レースのうち、ケンタッキーダービーとプリークネスSを勝ち、さらにその年のブリーダーズカップ・クラシックをも制した世界的名馬が、いきなり日本で種牡馬になるというのである。とてもにわかには信じられない話であり、ほとんど衝撃的といってもいい出来事だった。

 だからサンデーサイレンスの初年度産駒が競走年齢を迎えた94年、競馬界最大の話題は「サンデーサイレンスの子どもたち」だったといっても、あながち言いすぎではない。

 そして、サンデー産駒が見せたレースとその活躍ぶりは、サンデー種牡馬入りのニュースのさらに上をいく衝撃を人々に与えることになる。最初の2歳戦となった札幌で複数の馬が新馬勝ちを果たすと、札幌3歳S(レース名の馬齢は当時。以下同)ではいきなりのワンツーフィニッシュを決めてしまったのだ。そして、その後も産駒たちのめざましい活躍は途切れることなく続いた。

 そんなサンデー初年度産駒の中でも、当歳時から「一番馬はこれ」と評価されていたのが、ミルレーサーを母とする青鹿毛の牡駒だった。父と同じ毛色を持つこの馬は、出生直後に齊藤四方司に購入され、フジキセキと名付けられた。「フジ」は富士山、「キセキ」は輝石、奇跡、軌跡のトリプルミーニングとなる。

課題を見据え、陣営が選んだ
新潟でのデビュー戦

 フジキセキは生産者である社台ファーム千歳の吉田照哉の紹介で、栗東の渡辺栄厩舎に入厩する。そして2歳の8月20日、新潟競馬場での芝1200㍍の新馬戦でデビューすることになった。

 これは渡辺厩舎としては、異例とまではいわないものの、比較的珍しいケースである。渡辺厩舎の所属馬はこの時期、小倉で競馬をすることが多かったからだ。

 あえて新潟を選んだ理由に、渡辺は輸送距離の短さとともに、直線の長さをあげている。フジキセキの最大の課題は、スタートだった。ゲートがうまくないのである。ゲートに入るのを嫌がる馬はよく見かけるが、フジキセキはゲートに入らないわけではなかった。入るのは入るのだが、出ないのである。

 ゲートが開くと同時に飛び出す、というのができなかった。何とかゲートからは出ても、走り出さないのだ。これでは競馬が始まらない。デビューに必要なゲート試験の合格までに、実に5回の試験を要したほどだった。

 そんな馬だから、渡辺はデビュー戦での出遅れをほとんど覚悟していた。そのために直線が長く、小倉よりは出遅れが挽回できるであろう新潟を選んだのだ。

 そしてこの新潟で、渡辺は応援に駆けつけていたオーナーの齊藤に「ここで勝っても負けても、次は秋まで使わない」「年内の競馬は3走ないし4走だけ」という方針を伝え、了承を得た。これは、はっきりと翌年のクラシックを見据えていることの表明でもあった。

 このレースでのフジキセキの手綱は関東の蛯名正義に託されることになったが、レースでは案の定、フジキセキは派手に出遅れることになった。渡辺はあらかじめ蛯名に、

「出遅れるかもしれないけど、直線を向くまではとにかくじっとしてゴーサインを出さないでくれ」

 と指示を出していた。しかし蛯名としては、1200㍍戦でこれだけ出遅れて何もしないわけにはいかなかったのだろう。追走のために気合いを入れると、馬がこれに反応し、一気に進出して3コーナーでは3番手に並ぶ形になってしまった。渡辺の想定とは違う、早めに脚を使うレースになってしまったのだが、フジキセキにはそれも関係なかったようだった。

 3~4コーナーでいったん落ち着いたフジキセキは、直線を向いて軽く追われると、瞬く間に他馬に8馬身の差をつけてみせたのである。


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