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今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語

“強さ”だけを残したのではない。
日本競馬にとって“面白い”存在。

 外国産馬で馬名がクロフネ。こうくれば、多くの人が想起するのはマシュー・ペリー率いる、アメリカ海軍・東インド艦隊の蒸気船であろう。実際に馬名の由来もそうだという。

 ただ、日本史において黒船来航の果たした役割と、競馬史において競走馬クロフネの果たしたそれを、そのまま対比することは難しい。黒船はある日突然やってきて、威力をもって太平の眠りを覚ました。最初の浦賀来航から日米和親条約までは1年も経っていない。欧米列強へ向き合うというテーマは突然もたらされ、事態は猛スピードで進んでいった。

 日本競馬史における海外の競馬や馬産との関わりは、これとは全く時間軸の異なるものである。そもそも近代競馬はイギリス人によってもたらされ、もともと国内に存在しなかったサラブレッドという品種を頂点に据えて、日本の競馬は発展していった。

 その過程で問題となりつづけたのが、競馬のレベルを上げることと、国内の馬産を保護すること、その両立だ。時には政治的なテーマとして紛争の種にもなった「開放」は、突然起こった問題ではなく、むしろずっと存在しつづけたものだ。

 ただ、クロフネが日本へやってきた前後、時代は大きく動きつつあった。クロフネは黒船のように1頭で時代を変えたわけではないが、変わりつつあった時代の中で走った1頭ではあった。ゆえに、クロフネの足跡を辿ることは、日本競馬の歴史、特に開放と進歩の歴史を考えるうえでも、たいへん興味深いものとなる。

世界との戦いへと誘ってくれた
外国産馬隆盛の時代に

 2000年のファシグティプトン・フロリダセール、ヒップナンバー140番。芦毛の牡馬が43万ドルで落札された。1回目の公開調教で2ハロン21秒6の好タイムをマークしていたこの馬こそが、クロフネである。

 43万ドルという価格は、いまのセールではさほど目立つものではない。しかし当時300頭以上が上場されていたこのセールにおいては価格順11位。この年このセールで日本人が購買した中では最高価格であった。


(続きは、10月25日発売の『優駿』11月号でお読みください。)

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