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今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語

1997年10月26日、彼女は日本競馬を
“ガチャリ”と音を立てて変えてみせた。

 1997年10月26日。彼女は“ガチャリ”と音を立てて時代の方向性を大きく変えてみせた。転轍機というかエポックメイキングというか……。どんな時代にもどの世界にもそのような存在はいるものだが、今回紹介するエアグルーヴも、正しくそういった存在であった。

 さかのぼること4年半。93年4月6日。父トニービン、母ダイナカールの仔として彼女は生を受けた。この5日後に行われた桜花賞を武豊の操るトニービン産駒のベガが勝つことになるのだが、エアグルーヴ、ベガ、両馬の生産にかかわった、当時社台ファーム早来の吉田勝己は次のように語った。

「トニービンを導入したばかりの頃で、良い繁殖牝馬をこぞってつけました」

 ダイナカールは岡部幸雄を背にデビューから3連勝。牝馬クラシック戦線に乗った。しかし、桜花賞では岡部に自厩舎の騎乗馬がいたため他の騎手が騎乗。3着に敗れていた。

 現在は大半の騎手がフリーだが、実は岡部が「こんな思いはもうしたくない」と、これをきっかけにフリーになったことから時代は大きく変わったのだ。エアグルーヴが時代を変えたことは追って記すが、そういう意味では母のダイナカールも間接的に時代の流れを変えた馬だったのである。

 さて、そんなダイナカールは岡部の手に戻ったオークスを優勝する。ゴール前はハナ、アタマ、ハナ、アタマの差で5頭が横一線に並ぶ大接戦ではあったが、岡部は後に言っていた。

「小さな馬だったけど、最後まで絶対に諦めない性格の持ち主だったから接戦でも負けないと思いました」

 こうしてトニービンのお嫁さんに選ばれたダイナカールとの間に生まれた仔に注目していたのは、吉田勝己ばかりではなかった。

「生まれたらすぐに教えてくださいと伝えていました。それで連絡をいただいたので、翌日には見に行きました。『素晴らしい』というのが第一印象でした」

 そう語るのは後にこのエアグルーヴを管理することになる伊藤雄二だった。

3歳秋の骨折により休養が
かえって進路を良き方向へ向かわす

 伊藤に見初められたエアグルーヴは95年に入厩する。名コンビとなる武豊との接点は、もちろんこの後のことである。

「当時、伊藤厩舎で調教助手をやっていた笹田(和秀・現調教師)さんに『もの凄く良い馬がいる』と聞きました」

 笹田から「絶対に乗った方が良い」と勧められ、跨ってみると、「本当に良い馬だった」と言う。


(続きは、8月25日発売の『優駿』9月号でお読みください。)

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