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今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語

《最強の戦士。/彼の前では すべての馬が挑戦者だった。》

1983年にJRAが製作した「ヒーロー列伝」のキャッチコピーである。

 最強の戦士の名はシンザン。このポスターが作られる20年前の63年にデビューし、セントライト以来、史上2頭目の三冠馬に輝いた名馬。いや、そんな言葉で簡単に表現してしまうことができない傑出した競走馬だった。

シンザンを超えろ。

 彼がターフを去ったあと、競馬関係者の間で語り継がれてきた言葉だ。

 シンザンを上回るサラブレッドを送り出す。これが競馬サークルに身を置く者たちの目標だった。

 それから半世紀という長い月日が流れ、シンザンを超える競走馬は、たしかに誕生した、と思う。しかし、当時を知るファンにとって、彼が残してくれた感動と驚き。そして偉大な功績は決して色褪せることはない。これもまた、たしかなことだと思う。

《彼の前では すべての馬が挑戦者だった。》

 このコピーはいまも生き続けている。

当初は高い評価ではなかったが
走りで自らの能力を証明していった

 61年4月2日、北海道浦河町の松橋吉松牧場でシンザンは生を受けた。父のヒンドスタンはイギリスで生まれ、愛ダービーなど8戦2勝の成績を残し種牡馬生活に入ったが、産駒に恵まれず55年に日本へ輸入された。

 当初は種付料も高額で、それほど人気を集めなかったが、初年度産駒から活躍馬を輩出し、シンザンが生まれた61年に初のリーディングサイヤーになると、その後、6度も種牡馬界のトップに君臨している。ただし、そんな父の“走る”血を受け継いだシンザンだが、最初から期待されていたわけではない。

 関西の名門、武田文吾厩舎へ入厩した同期生の中でも2番手グループの一頭と目されていた。実際、2歳の11月に予定していたデビュー戦に、この年の新馬で前評判の高かった同じヒンドスタンを父に持つウメノチカラが出走することを知った武田調教師は勝ち目がないと1週遅らせることにした。そして武田の評価は翌年の1月のオープン戦で無傷の4連勝を飾っても変わらなかった。

 それが一変したのは東上初戦のスプリングステークスだった。

 その前にシンザンを語る上で避けては通れないエピソードを紹介しておかなければならない。


(続きは、7月25日発売の『優駿』8月号でお読みください。)

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