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今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語

『優駿』の編集部から本稿の依頼がくる3、4カ月前のことである。深夜、仕事の合間に覗いていた音楽配信サイトで『山崎ハコ ライブセット』というアルバムを見つけた。

 テンポイントファンならばぴんときただろう。「テンポイントの詩」が収められていたのだ。寺山修司が書いたテンポイントの追悼詩「さらば、テンポイント」(『旅路の果て』所収)に山崎が曲をつけて歌った作品である。

 わたしは当時もいまも寺山修司や山崎ハコの独特の世界観にはどうしてもなじめないのだが、それでもずっと忘れていた同級生の名前を耳にしたような奇妙な高揚感をおぼえ、三十何年ぶりかに「テンポイントの詩」を聴いた。

<もし朝が来たら
 グリーングラスは霧のなかで調教するつもりだった…>
 暗い、なつかしい歌がきこえてきた。

4歳春の天皇賞でおとずれた
「夢に見た栄光のゴール」

 テンポイントはかなしい運命に絆された名馬だった。

 その生涯には「暗さ」がつきまとっていた。それは祖母のクモワカを知る人々によって伝承されてきた生と死の「暗さ」でもある。

 クモワカは桜花賞で2着になったほどの活躍馬だったが、4歳になった1952年11月に伝染性貧血症の感染を疑われる。「伝貧(でんぴん)」といわれるこの感染症は、当時はまだワクチンもなく、発病した馬は高熱を繰り返しながらやせ細り、死んでいった。戦前には伝貧によって牧場が全滅したとか地域から馬が消えたとかいう話もあったほどで、感染した馬は家畜伝染病予防法によって殺処分とすることが義務づけられていた。

 だが、愛馬を殺しきれない馬主の山本谷五郎はクモワカを研究馬として京都競馬場の隔離厩舎にかくまう。


(続きは、5月21日発売の『優駿』6月号でお読みください。)

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