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今月の立ち読み

引退レース回顧録

1年の終わりにやってくる
名馬との別れのレース

 有馬記念は、独特な寂寥感がつきまとうレースだ。観衆は無邪気にはしゃいでいるようでいて、心にいくばくかの影を抱えている。

 1年の終わりに自分を振り返り、競馬界をしみじみと振り返る。それだけが原因ではない。名馬たちが、有馬記念を最後の1戦に選ぶケースは多い。あの馬を見るのもこれが最後。そう思うと、もの哀しい気分になるのも当然だ。

 一言でラストランといっても、そこには馬によって様々な形がある。勝利と笑顔で去っていった馬、精根尽き果てて馬場を去った馬……それぞれファンの記憶に深く刻まれる。

 1956年の第1回有馬記念(当時は中山グランプリ)は、2頭の名馬がここを引退レースと決めて臨んだレースだった。メイヂヒカリとダイナナホウシュウ。ファン投票1位はその年の菊花賞馬キタノオーに譲ったものの、単勝人気は1番人気と2番人気。ファンは惜別の想いを馬券に託したことになる。

 結果は対照的だった。2番人気ダイナナホウシュウが11着に沈み、1番人気メイヂヒカリはレコード勝ち。しかもゴール前一気に他馬との差を広げ、3馬身半差の完勝だった。メンバーの揃ったこの有馬記念を完勝したことで、メイヂヒカリは最強馬論争の候補にも加えられる存在ともなった。

 61年のホマレボシも1番人気に応えた馬だ。この年だけで重賞を3勝していた同馬は、日本経済賞では63kgの斤量も克服しており、地元中山競馬場所属の大将格としてレースを迎えた。

 唯一の懸念は、その年だけで4回負けている相手のタカマガハラが出走していること。しかしそこは地元の意地、東京競馬場所属のタカマガハラやオンスロートにこのタイトルだけは渡せないとばかりに早めの差し脚を繰り出すと、坂下で早くも先頭に。詰め寄る他馬を振り切ってゴールに駆け込んだ。

 65年の有馬記念は、シンザンが引退戦で五冠馬となったレース。記録の上では、勝つべくして勝ったという印象が強い。まして単なる1番人気ではなく、単勝110円という一本かぶりだ。

 しかし、これは決して簡単な勝利だったわけではない。シンザンは前週のオープン平場に使われ2着と敗戦。そこから連闘での有馬記念だったうえに主戦の栗田勝騎手が乗れず、急遽松本善登騎手が起用されていた。

 この乗り替わりが決まる前、シンザン陣営は関東の加賀武見騎手にオファーを出していた。一度は騎乗が決まりかけたというが、加賀騎手は主戦を務めていたミハルカスが出場することになり、シンザンへの騎乗を断念。一転敵として立ちはだかることになり、これが歴史に残る外埒ぎわの死闘に繋がった。競馬の物語はどこでどう分岐するか分からないという好例だ。

 時代は一気に飛ぶが、有終の美、鮮やかな勝利ということで印象深いのが03年のシンボリクリスエスだ。同馬についてはレース前から、その日のうちに引退式が行われると発表済みだった。


(続きは、12月19日発売の『優駿』1月号でお読みください。)

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