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今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語

「史上最強馬」

 ディープインパクトがそう呼ばれる以前、多くの競馬ファンはシンボリルドルフのことをそう評した。

 そして、“皇帝”と呼ばれたシンボリルドルフ以前では、五冠馬シンザンがそう言われ、日本の競馬界に属するホースマンにとって、「シンザンを超えろ」が長い間、強い馬作りのキャッチコピーとされていた。

 これといった定義があるわけではないので、何をもって史上最強馬と言うかは人それぞれだが、この3頭に共通している項目は、多々ある。

 まず3頭はいずれも三冠馬であること。そして、取りこぼしがほとんどないこと。また、負けても大敗することはなく、惜敗だったことなど。

 これほどに優秀な馬だから、当然、そうそう世に現れるものではない。シンザンのあと、シンボリルドルフが登場するまでには20年の歳月が流れ、シンボリルドルフからディープインパクトまでは実に21年の月日を要した。

 つまり、シンザンからディープインパクトまでの半世紀弱の間に、唯一現れた“史上最強馬”が皇帝・シンボリルドルフなのである。


新潟で早めにデビュー 余裕を持ってクラシックへ


 シンボリルドルフがデビューしたのは1983年7月23日。今でいう2歳(以下、本文中の表記は現在の数え方)の夏だ。後の七冠馬を管理していたのは美浦の野平祐二。そして、当時この厩舎で調教助手としてシンボリルドルフに跨っていたのが、現在調教師となっている藤沢和雄だった。

 藤沢は言う。

「オルフェーヴルもそうだったけど、良い馬を夏の早い時期に新潟でデビューさせるのは、今でこそ珍しくない。でも、当時としては滅多にないことだった」

 一旦、言葉を切った藤沢は再度、口を開き、続けた。

「この時期にデビューさせたという思考こそが、ルドルフを最強馬にさせた要因だったよね」

 これには少し説明が必要だろう。

 ひと昔前は早い時期にデビューさせても、短い距離のレースしかなかった。3歳の春までの期間が長いこともあり、クラシック本番に直結しない例が多く、故に素質馬は秋以降にデビューさせることが普通だった。

 しかし、現在はクラシックに直結する距離のレースも早い時期から組まれるようになった。また、トレセン内外の施設の充実や医学の発展もあり、以前に比べ故障で戦線離脱する馬が減ってきた。加えてクラシックに向かう路線の充実やトライアルが整備されたことなどから、各馬のデビューが早まってきた。

 早めにデビューさせて賞金を稼いでおき、余裕を持ってクラシック本番に向かうという路線は現在のスタンダードといってもよいほどで、昔のように悠然と構えていては、クラシックに乗れない可能性が高くなってきたのだ。

 ところが、今から32年も前に、そんな路線を敷いたのがシンボリルドルフだったというわけだ。そして、それこそが、同馬が史上最強馬になり得た大きな要因だと藤沢が言うのは何故か……。

「兄と同じ轍は踏めないという気持ちが強かったのでしょう」

 野平の胸の内を藤沢はそう推測した。


(続きは、8月25日発売の『優駿』9月号でお読みください。)

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