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今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語

時代が待っていたところに現れたアイドルホース

 オグリキャップはアイドルホースとして一世を風靡し、競馬ブームを決定的なものとした。

 このような一文を書いても、そこに異議が寄せられることはないだろう。しかし、改めて当時を知る人たちに問いかけてみたい。オグリキャップが時代を醸成したのか、それとも時代が誰かを待っていたところに、オグリキャップが現れたのか。

 おそらく正解は後者ではないか。オグリキャップが生まれた1985年、中央入りした88年、そして劇的な引退戦を飾った90年……この時期の世相を辿ってみると、そう思えてくる。

 85年の新語・流行語大賞で新語部門の金賞を受賞した言葉は「分衆」であった。日本人の価値感が多様化・個性化・分散化し、かつてのようにマスが同じベクトルの欲求を持つ時代ではなくなったことを指摘するマーケティング概念である。その背景には、十分すぎるレベルにまで達した物質的な充足がある。

 思えば競馬、馬券というものも、日本経済の復興・繁栄となんらかの形でリンクしてきたのだろう。

 文字通り生活を賭けてしまうような人や、遊興費を得るためにはギャンブルで当てるしかないという人も、かつてはそれなりに存在した。そのために、公営競技のイメージは良くなかった。

 しかし日本は豊かになった。先輩アイドルホースであるハイセイコーのブームがやってきた73年は、高度経済成長期の終端でもある。豊かになったからこそ、競馬の「遊ばれ方」も変化していったのだと思う。ただ金が欲しい、というだけの話ではなくなった。

 オグリキャップの登場は、ハイセイコーからおおよそ15年後のことだ。その間、日本は景気後退期を挟みながらも、まだ着実に豊かになり続けていた。それと同時に、価値観や倫理観も変化していった。人々が競馬を受け容れ、競馬が人々を受け容れる準備は整っていった。「分衆」のうちの一群がやって来ようとしていた。

 そんな時代の流れを敏感に察知していたのが、ほかならぬJRAだ。日本中央競馬会の略称をJRAとし、場外勝馬投票券発売所をWINSとしたのは、オグリキャップが笠松でデビューする直前の、87年4月である。それまで、JRAは場外の設置やそこにおける映像提供拡充、ターフビジョン導入など「機能の改良」に注力していた。このCI(コーポレートアイデンティティ)で示されたのは、「イメージの改良」である。これは、物質だけではなくムードの時代になりつつあった当時にマッチしたものでもあった。

 高度成長期までの競馬を体験している「馬券おやじ」の皆さんには、このCIは唐突で違和感のあるものだったかもしれない。しかし、これによってキャッチされる層が、確実に控えていたのだ。

 ここで少しだけ時間を戻す。86年末は景気動向指数上、バブル景気が始まったとされるタイミングである。一方、流行語大賞の流行語部門金賞を受賞したのが「新人類」。この言葉自体はそれ以前から存在していたのだが、社会が新しい世代の性格や価値観を許容しはじめたのがこのタイミングだ。時に刹那的であったり享楽的であったりする側面も社会から否定はされなくなり、この変化は若者の競馬への流入において追い風となった。


(続きは、4月25日発売の『優駿』5月号でお読みください。)

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