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今月の立ち読み

未来に語り継ぎたい名馬物語

 オルフェーヴルとは、かつて日本に出現した競走馬の中でも抜きん出た能力を持つ名馬の1頭であることは言うまでもないが、それ以上に、俗っぽい言い方をすれば「競馬新時代の到来」を、筆者にきわめて濃密に体感させてくれた馬だった。競馬の世界地図における日本の地位向上を、パートI国への昇格といった建前論ではなく、国境のないスポーツとしての競馬を本音で意識させてくれたひとコマひとコマが、彼の現役生活のそこかしこに散りばめられていたのである。

日本人が自前の血脈で作り上げた名馬

 オルフェーヴルを語る上で、まずは詳細を記さずして先には進めないのが、その血統である。

 日本産競走馬の水準は近年著しく向上し、20世紀の競馬を振り返る史書があるならば、最終章の後段になって、世界の檜舞台で脚光を浴びる日本調教馬の姿が描かれるようになった。

 1999年の凱旋門賞で、あの偉大なるモンジューの半馬身差2着に健闘したエルコンドルパサーは、渡邊隆氏という稀有な日本人馬産家の手によるオーナーブリーディングホースで、競馬史における日本人が作った歴史的名馬であることは紛れもない事実なのだが、父は米国産馬で、母は愛国産馬だった。つまりは、他国の先人たちが築き上げてきたものに、フィニッシングタッチを施したのが渡邊氏で、何よりもエルコンドルパサー自身が、生を受けたのは米国だった。

 種牡馬としてもスーパーな成績を収めているディープインパクトは現役の頃から、最後方待機から「飛ぶ」と謳われた電光石火の末脚を繰り出すレーススタイルともども、その名が世界に轟いていた馬だった。世界に通じる血脈として、今や日本ブランドの象徴のような存在となった彼もまた、父は米国産馬で、母は愛国産馬であり、礎から日本人ホースマンが育み築き上げたサラブレッドとは言いがたい背景を持っていた。

 そこへいくとオルフェーヴルは、父も母も日本で生まれ日本で走った馬で、祖母も、父の母も、母の父も、更には母系祖父の父も母も、日本生まれのサラブレッドである。日本人が、自前の血脈で作り上げた名馬という点で、オルフェーヴルは競馬新時代の到来を世界のホースマンに知らしむ存在となった。

 オルフェーヴルは、2008年5月14日に社台コーポレーションの傘下にある白老ファームで生まれた。牧場のある白老町社台とは、乳牛の酪農家として成功した吉田善助氏が、間もなく日本にダービー(=東京優駿)なるレースが創設されると聞き、1928年に馬の牧場を開いた場所だった。オルフェーヴルは、吉田善助氏が牧場を開設してから80年目に下された、天からの授かり物だったのだ。競馬新時代の象徴が、代々の当主による圧倒的な推進力で日本競馬の国際化と日本産馬の資質向上を牽引してきた吉田ファミリーの、馬作りの原点ともういうべき場所で誕生したというのも、何やら因縁を感じさせる話である。

 オルフェーヴルは、ノーザンテーストの3×4というインブリードを内包している他、配合表にはディクタス、サンデーサイレンスといった、社台ファーム所縁の種牡馬たちの名が散見される。外国からの種牡馬の導入に熱心で、しかし実は、結果として大失敗に終わった種牡馬も少なくなかった吉田善哉氏だったが、今頃は草葉の陰で「それ見たことか!」と怪気炎を上げていることだろう。

 それだけではない。オルフェーヴルの母系5代目には、シンボリ牧場の和田共弘氏が導入し、一時代を築いた名種牡馬パーソロンの名も見える。

 そしてオルフェーヴルの配合表には改めて言うまでもなく、メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンという、北野豊吉氏のメジロ牧場が育んだ3代続けての天皇賞馬の名もある。

 すなわち、社台、シンボリ、メジロという、日本の競馬を引っ張ってきた偉大なる先人たちの「集大成」と言えるのが、オルフェーヴルという競走馬ではなかろうかと思う。


(続きは、3月25日発売の『優駿』4月号でお読みください。)

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