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今月の立ち読み

優駿激闘譜

生産馬から3頭のダービー馬を
送り出した名門牧場の仔

 ウオッカが手にした七冠の中には、実に際どいハナ差での勝利がふたつ含まれている。

 ハナ差は運だという人がいる。それ以上でも以下でもないと。

 たしかにそうなのかもしれない。明確に反論する術は筆者も持たない。

 ただ、その手の意見は「PK戦はサッカーにあらず」との論調にどこか似ていると思う。対象の捉え方が少々大ざっぱであり、深い考察を投げ出しているのでは、と個人的に感じられてならない。

 過去に積み重ねた鍛錬。

 磨き抜いたはずの技術。

 さらに凡人には会得しえない集中力。

 究極の場面においては、そうした要素が総合的に試される。そして、最後の最後になって、ほんのわずかの差を生み出す。それこそがサッカーにおけるPK戦での勝ち負け、競馬におけるハナ差に繋がるのではないか。つまり、運としてしか片付けられないような微差にこそ、勝敗の本質は凝縮するのだと筆者は考える。

 ウオッカの競走生活を振り返る作業は、さほど難しくはない。軌跡を辿り直せば、そこに極上のドラマが出来上がるからだ。しかし、「なぜハナ差を二度凌ぎ切れたのか」については、答は出ないまでも、突き詰めて考える必要がある。困難な作業ではあっても、それを避けていては、あの馬の本質に迫れない気がする。

 強さでない何か。

 ウオッカはそれを持つと、だから人は魅了されるのだと、繰り返し訴える友人がいた。そうなのだ、強さでない何かを彼女はたしかに備えていた。

 生まれ出た舞台がまず振るっていた。

 谷水信夫・雄三親子の率いたカントリー牧場を「日本を代表するオーナーブリーダー」と称して反論できる人はいない。その名門牧場に、父・タニノギムレット、母・タニノシスターの牝馬が生まれたのは2004年4月4日のことだった。

 周知のとおり、2012年2月をもってカントリー牧場は歴史に幕を下ろした。なので今、過去を振り返ろうとする時に寂しさを禁じ得ないが、同牧場より輩出した名馬を思い起こすだけでも、圧倒的な実績にため息が出てしまう。

 開業は1963年だった。早い段階から若駒への追い運動を課すなど、独自のハードトレーニングが注目を浴びた。

 最初の生産馬から68年の皐月賞馬・マーチスが、またダービー馬・タニノハローモアが出た。さらに70年、タニノムーティエが皐月賞、ダービーの二冠を制覇してカントリー牧場は一世を風靡した。


(続きは、2月25日発売の『優駿』3月号でお読みください)

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