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今月の立ち読み

THE LEGEND OF HEROES サラブレッド・ヒーロー列伝

結果的にまだ幼すぎた
春のクラシック戦線

 2000年暮れに行われたラジオたんぱ杯3歳S(現2歳S)は、歴史的名勝負として、今なおファンの話題にのぼることが多い。

 勝ったのはアグネスタキオンだった。デビューから2戦目の重賞制覇であり、しかも、負かした相手がのちのダービー馬・ジャングルポケット、また芝・ダートを問わず活躍し、01年のジャパンCダートを驚異的なレコードで制するクロフネなのだから、驚かないわけにはいかない。名馬の集う、まさに伝説的な一戦であった。

 それゆえ、01年の牡馬クラシック戦線は、この3頭を中心に動くものと思われた。アグネスタキオンが三冠を達成すると、強く訴える関係者も多かった。

 そうしたムードの中、迎えた1月29日、マンハッタンカフェは東京の新馬戦(芝2000m)でデビューした。父サンデーサイレンス、母サトルチェンジ(その父Law Society)。兄に、この年のオールカマーを勝つエアスマップがいる。セレクトセールにて1億3000万円もの高い評価を受けた良血馬だけに、単勝4.0倍(2番人気)の支持を集めたが、この時点で、のちの大活躍を予測できた者は少なかったと思われる。

 スタートで出負けした。道中もフワフワとハミを取らず、鞍上の蛯名正義は最後まで追い通しとなった。

 それでも、これが父譲りの力なのか、直線では図太く伸びた。勝ち馬から0秒2差の3着は、レース内容を考えると悪くなかった。「能力の高い馬」と蛯名も初戦の走りを賞賛した。

 初勝利は2週間後に訪れた。折り返しの新馬戦を快勝したのである。同コースの芝1800m、しかもメンバーが似かよっていたから1番人気は当然の評価だったし、道中は好位の4~5番手に控え、直線で先行馬の間を鋭く抜け出すなど、叩いての変わり身が大きかった。

 ただ、それが2月11日である。春のクラシックを考えるならば、遅すぎる初勝利であるのは間違いなかった。

 そこで陣営は、3戦目に弥生賞を選んだ。3着以内なら皐月賞に出走が可能だ。アグネスタキオン以下、出走メンバーは強力だったが、一方でまだいかにも子供っぽく、逆にいえば一戦ごとに力を付けるだろうマンハッタンカフェには、もしかしたら……の期待も大きかった。

 出走馬は8頭と少なかった。マンハッタンカフェは5番人気だった。折りからの雨によって馬場が悪化し、3歳春の若駒にとっては厳しい条件となった。実際、アグネスタキオンが記録する勝ち時計は、2分5秒7を要することになる。

 2着を5馬身もちぎったそのアグネスタキオンでさえもが「最後はアップアップになった」(騎手・河内洋)ほどだから、タフな戦いであったのは間違いない。重たい馬場が各馬に与える影響も心配されたが、マンハッタンカフェには別の懸念も生じていた。レース前の計量において、実に20kgも体重が減少していたのである。

「内面だけでなく、爪や体にも弱いところがあった。脚が長く、筋肉もさほどなくて、最初は線の細い感じの馬でした」

 管理調教師・小島太の言葉からわかるとおり、この時期のマンハッタンカフェは弱い体質に泣かされていた。そうした中での弥生賞4着、しかも3着馬とはアタマ差の接戦を演じたのだから、素質の高さは誰の目にも明らかだった。だが、皐月賞については諦めざるを得ず、4月7日の阪神・アザレア賞(500万下、芝2000m)が仕切り直しの一戦に選ばれた。

 ところが、ここでもまたマイナス16kgと馬体を大きく減らしたのである。長距離輸送を苦手としたためだ。456kgの数字は、デビュー時の498kgと比較すれば、実に42kgにも及ぶ減少だった。弥生賞の好走から2番人気に推されたが、11着に敗れ去った。

 この後、ダービーへの挑戦を諦め、マンハッタンカフェは休養に入る。大丈夫なのか……と誰もが先行きに不安を感じていたが、実はここで早めに挟んだ休養が、名馬誕生への大きな布石に変わることになる。


(続きは、2月25日発売の『優駿3月号』でお読みください)

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