おとなしくて人なつこい
優しい性格の女の子
栗東の調教師・石坂正は管理馬を当歳時から見続ける。馬体の印象や個性を胸に刻み込み、のちに始まる調教へと活かすためである。
2004年の春、社台ファームへ足を運んだ時のことだ。関係する数頭のチェックを終えると牧場スタッフから声がかかった。
「ラスリングカプスに当歳が生まれたんですよ」
母親とともに曳かれてきたのは、まだ小さな牝馬だった。
いい馬が出たな。
その際の印象も石坂にはハッキリと残っている。ただ、だからといってすぐに「この馬を自分の厩舎で」と頼み込んだわけでもなかった。
父アドマイヤコジーン、母ラスリングカプス。1歳上のグラスワンダー産駒を、縁あって自らの厩舎で預かる予定になっていた。だから声がかかったのだ。その馬、クレスコワンダーは2勝を挙げ、今なお現役を続けている(09年7月末現在)。
父アドマイヤコジーンは、初年度産駒としてこの当世代たちを送り出したばかりだった。つまり競走馬としては一流でも、種牡馬としては海のものとも山のものとも、まだ判断が付かなかった。産駒が走るとわかれば、「あの馬を買っていただけませんか?」と知り合いの馬主にも頼みやすい。だが、初年度産駒だけに、そうした依頼を口にしづらかった。
馬は昔から、生まれてすぐに見た方が特徴をつかみやすい、と言う。どうしてわかるのだろう、と以前は石坂も不思議に感じていたが、やがて理由に突き当たった。生後数カ月が過ぎ、全身に栄養が行き渡ると、どの馬の体も充実して見える。中途半端な成長過程で見つめるよりは、生まれて間もない頃がわかりやすい。いつしかそう感じるようになっていた。
結局、ラスリングカプスの当歳馬も預かることが決まった。好印象が石坂の胸から消えてなくならなかったからだ。おとなしく、とても人なつこい牝馬は、そんな経緯を経て、06年5月の半ば、栗東トレセンへとやって来たのである。
牧場でもトレセンでも、走らせてみると動きは軽快だった。そのフットワークを見て、この馬は夏競馬でデビューさせよう、と石坂は考えた。
調教はなおも順調に進み、7月22日、小倉競馬場でデビュー戦を迎えることができた。名を連ねたのは牝馬限定の芝1200m戦である。
アストンマーチャンともう1頭、人気を分ける馬がいた。レースが始まると、両馬の一騎打ちとなった。好位を追走し、2番手から直線で抜け出した1番人気の馬。一方、少し出負けしたアストンマーチャンはその1番人気をマークするように追走し、3番手から先頭に並びかけたのだ。
まさにあとは“交わすばかり”だった。だが、結果としてとらえきれず、クビ差の2着に敗れてしまう。騎乗した武豊が、レース後にこんなコメントを残した。
「物見して、外へモタれてしまって……。でも、口向きが悪いわけではないから心配はない。いいモノを持ってますよ」
直線の走りを見つめ直すと、外に逃げようとするアストンマーチャンを、馬の背で武がなだめているのがわかる。いったい何に物見をしたのだろうか。
「馬場の内側にターフビジョンがありますよね。画面に映る自分の走る姿を見て、外に逃げたようなんですよ。あれがなかったら勝ってたと思います」
石坂の回顧である。
中1週で出走した未勝利戦は、同じく芝の1200mだった。和田竜二の手綱で1番人気に応えると、その後は9月3日の小倉2歳Sに挑戦した。デビュー前の陣営の期待通り、無事、重賞へと駒を進めたのだ。
それまでの2戦、アストンマーチャンはスタートでの切れを欠いた。伸び上がるように体を浮かせ、スピードに乗り切るまでに何完歩かを必要とした。
だが、3戦目でレースに慣れたのか、それとも7枠12番がよかったのか、この日はポンとゲートを出ると、すぐさま2番手に付けた。すると、あとは行きっぷりの違いばかりが目に付いた。4コーナーで先頭に立つと、2馬身半もの差を付けて堂々と押し切ったのだ。騎乗した鮫島良太には嬉しい重賞初制覇となった。
賞金を加算したこともあって、早くも翌年春のクラシックが視界に入ってきた。
ただ、小倉2歳Sの過去の勝ち馬を振り返った時、のちの平地GI勝ち馬と言えば、タムロチェリー(01年阪神ジュベナイルフィリーズ)やメイショウボーラー(05年フェブラリーS)が目に付く程度である。重賞勝ち馬とはいえ、「はたしてどこまで・・・・・」と疑心暗鬼の目でファンがその後を見つめたのは間違いなかった。
しかし、そんな予想を、アストンマーチャンはいい意味で裏切っていく。休養を挟んだ次のレースで、生まれ持ったスプリント能力が早くも大きく開花するのである。
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