あの日のことは今でもよく覚えています。
『優駿』は原則として毎月25日の発売のため、
編集部ではほぼ例外なく毎月10~15日に作業のピークを迎えます。
8年前の今日もそうでした。
午後10時頃だったでしょうか。
正確な時間は覚えていませんが、突然、私の携帯電話が震え出し、メールの着信を知らせました。
「誰だろう?」とチェックしてみると、J-PHONE(当時)からのエマージェンシー・メール。
大地震などの緊急事態に備えて、こういったサービスが存在することは知っていたものの、
実際に着信したのは初めてのことでした。
この日、関東地方には台風15号が直撃していたこともあり、気象関連の緊急速報かと思いきや...。
メールを読んで慌てて付けたテレビに映し出された光景に、我々は釘付けになりました。
これ以上は言わずもがなの2001年9月11日。
暗い過去から目を背けるわけではありませんが、
ここは「テロ」の凄惨さや悲しみを語る場所ではありませんし、
競馬ファンのためのブログですので、事件についての私見は差し控えます。
そもそも競馬とは楽しむためのもの(それに競馬自体が平和の代名詞的存在ですしね)。
さて、この時に制作していたのが、2001年10月号でした。
そこで今回は、当時の『優駿』10月号をめくって、8年前の競馬界にタイムスリップしてみましょう。
何か再発見・新発見があるかもしれません、しばしお付き合いを。

(左) アンカツさんの落馬負傷を伝えるニュース。 まだ笠松所属でした。
(右)この年の皐月賞馬アグネスタキオンが屈腱炎のため無念の引退。

(左)まだ37歳の角居勝彦調教師を新鋭トレーナーとして紹介するコーナーも...。
(右)こちらは表紙です。この頃の『優駿』には、まだDVDが付いていません。
こうやってみると、今の競馬界では当たり前になっているものが、
当時はまだ現実のものとなっていなかったりして、新鮮ですよね。
もしタイムマシーンがあるならば、8年前の競馬ファンに教えてあげたい。
上記4つのファクターがそれぞれに醸成されて、未来で起こる奇跡的な"邂逅"のことを。
「このあと晴れてJRA所属ジョッキーとなった安藤勝己騎手は、種牡馬アグネスタキオンの2世代目の産駒ダイワスカーレットとのコンビで、"世界的トレーナー"に登り詰めた角居勝彦調教師の管理馬ウオッカとのライバル対決を繰り広げ、天皇賞・秋では歴史に残る名勝負を繰り広げるのだよ、と。その闘いの記録は『優駿』誌上だけではなく、毎号2005年以降毎号付いている優駿DVDにも永久保存版として残されていくのだよ」と。
こうやってみると、見事なまでにつながっていますよね(ホントか)。というか、こじ付けですね(苦笑)。
閑話休題。
9月11日の記憶といえば、3年前のこの日は、
ミスターシービーの主戦騎手として知られる吉永正人さんが亡くなられた日。
当時、作家の吉川良さんにご寄稿いただいた追悼エッセイ「空へ、『吉永!』と叫ぶ」の一節が
今も心に深く残っています。ご紹介しましょう。
生き残っている私としての人生の役目のひとつは、
死んでしまった人を、なるべくいっぱい思いだしてあげることである。
人間愛に溢れる吉川良さんの文章は、いつもさりげなく僕たちのハートを温めてくれます。
エッセイストの小林あゆみさんが次のような感じのことをおっしゃっていました。
「吉川さんの文章を読むと、素直に人間っていいな、競馬っていいなと思います」
私も同感です。心がほっこりしてきたところで、また来週。
【Yama】

